○● 白雪往きて ●○


「ねえ」

 君の声が震える。
 絞り出された君の声に、私はすぐに振り向いた。


 コートの両ポケットに手を片方ずつ突っ込んで、マフラーの中で歯をガチガチといわせる君が、こっちを見ている。

「寒いんだけど」

 鼻を真っ赤に染めながら首をすくめる君は、確かにずいぶんと寒そうだ。

 今日は、いつにも増して寒い。
 ガチガチと鳴る歯の隙間から零れ落ちた息でさえ、目に見えて宙に散った。

「わ、私だって寒いよ」
 漏らした声は思いがけなく震えてしまい、なんかどもった。
 あーやだやだ。

「つま先が痛い」
「わかるかも」
 君の言葉に顔をあげて頷いて、でもやっぱり寒かったから再びつま先に視線を預けた。

 雪の滅多に降らないこの土地は、空気ばっかりが冷たくて。
 いったい私はどうすればいいの。

 君が私の一歩先を歩きながら、冷たく細く、長く延びるコンクリの道をコツンとつま先で蹴り上げた。
「…痛い」
「そりゃ、ねぇ…」

 ああ、会話が続かない。
 この冷気は声さえ私から奪おうというのか。


「寒い」

 それからしばらく無言で歩いて、歩いて歩いて、歩きながら君は再び呟いた。

「うん」
 私も頷いた。
 ダメ、これしか思いつかないんだもん。

「寒い」
 今度はもっと大きな声で聞こえた。
 君の吐いた白息が、冷たい風に押されて私の眼前に溶ける。

「…何度も言わないでよ。余計寒くなるじゃん」
 少しだけ顔をしかめてそう言えば、今までゆっくりと歩いていた君が突然立ち止まってしまった。

 じっと、その目が私を見る。
 私もその目を見る。

「寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い…」

 何を血迷ったのか、立ち止まったまま連続して吐き出される白い霧を見送って、私は君の後ろに回り込むと、その背をコートに突っ込んだ手はそのままに、  右肩で小さく押してやる。

 ゆるりゆるりと歩き出す君の背中を見つめ、その後ろをついていく。

 声は出さなかった。
 だって、寒い。

 そして、二人とも無言になった。
 君独特のだらしのない歩き方。
 ふらりと揺れる君の肩を、ただただ見つめているだけだった。
 こんなにゆっくり歩いたのでは余計に寒いような気がしたけど、生まれては消える君の吐息が目に入ると、寒さもそんなに気にならなかった。

「さっき」
 君が、白い息を吐く。
「何回寒いって言ったと思う?」
「…知らないよ」

 ぐるりと振り返った君に向けて、煙を吐く。

 煙と一緒に出た声は、思ったよりかはピシャリとしていて。
 再び歩き出した時には、今度は君が横に並んでいた。

 コンクリを踏みつけるつま先が一歩一歩、進む度にきしむ。

「…8回くらい?」
 唐突に答えてみれば、
「知らない」

 君の一声に一蹴されてしまった。
 ほうっと吐いた溜息は、マフラーの隙間から零れて往った。

「じゃあ聞かないでよ」
「わかんないから聞いたんじゃん」
「そう」
「そお」

 思わず笑った。
 足が速まる。君は、隣を譲らない。


「あーぁ、馬鹿だなぁ」
「ヒドイ!」

 口元を覆って笑ってやると、君が大げさにショックを受けている。

 白い雲はさっきからずっと流れているということに、この時ふと気がついた。

【完】  

2006/01/06